崩御、薨去、逝去、薨御など、一般的にあまり馴染みのない言葉ですが、
これらの言葉の意味をあなたはどこまでご存でしょうか?
これらの言葉の意味を紐解くと使われだしたのは平安時代かあるいは、
もっと前の時代からかもしれませんが、亡くなることの意味です。
天皇がお隠れになるのは崩御、みまかるは薨去です。
これは明治天皇の時代まで使われていましたが、
古くは大正天皇の時代もあったのかもしれません。
大臣の呼び名は平安・鎌倉・江戸時代位まであったようですが、
これらは地位によって呼び方が変わりますので、
それについて少し詳しくお伝えしていきたいと思います。
このサイトで分かることは、
の読み方と違いについて分かります。
(この内容は広辞苑から調べたものです。
第四版で少し古いので内容に少しずれがあるかもしれませんので両方のせます。)
崩御・薨去・逝去・薨御の読み方は?
(出典:https://www.pakutaso.com/)
読み方は左から順に、
◆崩御は⇒天皇・太皇太后、皇太后、皇后にも用いられています。
平安の時代は法皇や上皇などにも用いられていたようです。
◆薨去は⇒皇族または三位以上の人(天皇の兄弟)・嫡子・内親王・皇太子妃・親王・親王妃
今は皇族一般に使われているようです。
◆逝去は⇒人の死の尊敬語、身内には用いません。一般的に使われています。
◆薨御は⇒親王・女院・摂関(摂政や関白)・大臣の死去
皇太子・その嫡男(天皇の孫)(皇室典範)
生まれ順や、皇位継承権などによって変わってくるようです。
時代の変化とともに、必ずしも依然と同じでないところがありますね。
また、今上天皇(現在の天皇)亡くなって、
初めて年号で表されるようになりました。
明治の時代は昭和に負けないくらい長い時代で、
富国強兵とは切り離せない時代で、文明開化の時代でした。
崩御といえば明治天皇が亡くなられたとき、
乃木希典、静子夫妻が後を追って、
自刃(自殺・自害)された話は有名です。
乃木将軍は旅順(中国)でロシアに軍旗を奪われ、
屈辱の人として知られています。
死のうと思ったのですが、明治天皇に止められ、
自分のために働くようにと言われ、
その後はずっと死に場所を探していたのですが、
天皇の崩御でようやくその場所を得たのです。
崩御・薨去・逝去・薨御の違いは
(出典:https://www.pakutaso.com/)
これは身分によって分けられているというのが一番わかりやすいでしょうか。
逝去は以前は四位以下の皇族でしたが今は広く一般に使われています。
亡くなられた昭和天皇は、大正天皇が病弱だったため、
若いうちから摂政として、大正天皇の代理を務めてこられたのです。
戦争の時代でしたから、大変なことも多かったのでしょう。
そのため、60年という長い年月を天皇として勤められたのです。
昭和天皇には、高松宮、秩父宮、三笠宮という3人の弟君がいらしたのですが、
皇太子になられてからは別々に生活され、会うこともめったになかったそうです。
戦後、焼け野原になった日本全土を回られ、人々を励まされたそうです。
現人神(あらひとがみ)と言われた時代ですが。
それまで国民は天皇の姿を見たことがなかったのです。
昭和天皇は唯一、沖縄だけが日本に返還された後も、
訪れることが出来ず、それが亡くなるまで心残りだったそうです。
現在の天皇がその思いを伝えるため、
沖縄を訪れ亡くなられた昭和天皇の想いを伝えられたそうです。
親子2代にわたり本当にすごいことだと思います。
現在の天皇は変わらず国民に沿った行き方を心がけておられるので、
自然災害などで被害に遭った人々に寄り添える天皇として、
生きていくのが使命だと思っておられると思います。
それはまた、戦後全国を行脚(あんぎゃ)された、
昭和天皇に大きな影響を受けていられるのではと思います。
鉄道も道路も、何もかもなくなってしまい大変な時代でしたが、
昭和天皇はそれを生涯の課題として、長い年月をかけ果たされたのです。
それは現在の天皇にも受け継がれ、
親子がここまで思い合えることは素晴らしいことだと思います。
崩御・薨去・逝去・薨御の使い方は
(出典:https://www.pakutaso.com/)
崩御について天皇のみという時代もあったようですが、
今は三代(天皇・太皇太后・皇太后・皇后)にわたって崩御と言われています。
薨去については皇族または三位以上の人の死去を指すとされていましたが、
今は皇族一般の死去を薨去としています。
薨御は皇太子、その嫡男の場合のみに使われます。
皇太子はいろいろな面で別格という気がします。
将来天皇になられる方なのですからそれなりの資質を持たなければならないのですね。
逝去は昔は皇族方の死去の際に使われていました。
三位以下の比較的身分も下の方に使われていたようです。
今は一般の場合相手に対する尊敬の意味から使われるケースが多いですね。
やはりその身分に応じてというのが一般的と思われます。
昔は今よりももっと身分によってはっきりと分けられていて、
たとえ兄弟といえども、将来天皇となる方とほかの兄弟とでは、
はっきり分けられていたのですね。
帝王学を学ばれ長い天皇家の歴史についてや、
いろいろな教育をたくさん受けられ、大変なことだと思います。
やはり一般庶民の私たちとは違って当たり前なのでしょう。
また皇后や親王の妃殿下も皆宮家や徳川の大名の、
お姫様だった方ばかりでしたから、
今とは時代離れしているかもしれませんね。
墓地もはっきりと分けられていますよね。
兄弟と言えども、生まれた時から分けられているのですから、
ちょっとさびしい気もしますね。
自由に行き来することもできないのですから。
今は、開かれた皇室というイメージが強く、
昔のような雲の上のような印象はなくなりました。
それでも国民から信頼され、やはり国家の象徴という言葉のように、
海外の王室とも親交を深め、尊敬される存在であると思います。
ですから敬意を払うのは国民としては当然のことなのではないでしょうか。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
一般の私達には馴染みのない言葉ですが、
身分によって、こんなにいろいろの言葉があるなんてちょっと驚きですよね。
今は先生と生徒、上司と部下などの関係が、
以前に比べずいぶん壁が低くなってきています。
敬語が使われる機会がだんだん少なくなってきています。
今回は、皇室というかなり壁の高い所がテーマの中心でしたが、
やはり尊敬する気持ちがあれば、言葉はそれを補ってくれるものです。
今回は少し分からないところもあったので、広辞苑のお世話になりました。
少し古くなっていたのですが、色々なものを参考にしながらまとめてみました。
平成も30年たったのですね。
「降る雪や明治は遠くなりにけり」という俳句がありますが、
昭和・平成と遠く過ぎ去り懐かしさが募りますが、次の年号は何と呼ぶのでしょうね!
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